院長コラム

あるウクライナの女流画家の事(後編)

2022年04月18日

1917年にロシアでおこった共産主義革命。国民は十把一絡げに管理され、インテリ層や資本家は迫害を受けました。(共産党員が恐れるのは、自分の頭で考え 真っ当な判断を下せるフツーの人たちです。)革命の混乱で夫を亡くし、故郷のウクライナを追われたセレブリアコワ、ロシアの大学で美術を教える事になりました。子供4人を抱えたぎりぎりの生活の中でも、彼女は革命政府の求める無機質で機械的で抽象的で暗い(進歩的と称される)絵画を拒否し、明るい写実画にこだわり続けました。

革命の八年後、絵を売ったわずかの金で単身、芸術の都パリに乗り込んでいくセレブリアコワ。愛する家族と輝かしい経歴をロシアに残 し、新天地に挑んだ彼女でしたが、なぜかフランスの批評家は冷淡でした。ひねくれた評論家の目には 彼女の希望に満ちた明るい絵が、一時代前の古くさい写実主義絵画のように映ったのでしょう。(待ち合いの壁にかけた彼女の絵に時代を超えた普遍性や現代性を感じるのは、私のひいき目ではないはずですが。。。)

パリを拠点に、イギリスやイタリア、ベルギー、そしてモロッコなどに出掛けて、肖像画や風景画を描き続ける生活。彼女から終生離れなかった思いは、ロシアに残した子供達の事と祖国への望郷の念であったに違いありません。欧州全体をまきこんだ第2次大戦やその後の東西冷戦は、彼女の帰国をますます困難なものにしていきます。やがて独裁者スターリンが死に、後継のフルシチョフによる雪解け(冷戦の緩和)が垣間見えた1965年、モスクワ、キエフ(敢えてロシア語で記します)、レニングラードでセレブリアコワの大回顧展が行われました。展覧会は予想以上の大成功をおさめました。

しかし既に齢80歳に達した画家は、健康上の理由で帰国がかないませんでした。20世紀の革命と戦乱にの波に翻弄されながら半世紀以上を異国で彷徨した天才女流画家の心の中には、どんな思いが去来したのでしょうか。いま再び戦乱の渦中に投げ込まれたウクライナ。豊かな自然と豊穣の大地、そこにたくましく生きる人々。セレブリアコワが歩んだ苦難の歴史が、平和の有り難さを思い起こさせてくれます。

  

 

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